【第一回】「廃墟」への引越しとDIYの日々

大阪出身の光山政恒さんは、2011年に神奈川県から熊本県に移住。阿蘇市で暮らしていた2016年に熊本地震で被災した。その後宮崎県高千穂町に3000坪の農地・山林を有する古民家を購入し、薬草や食べ物を育て、森づくりを行う〈MotherForest〉を運営している。

6年を経て、かつての荒れた耕作放棄地にはたくさんの花が咲き、果実や野菜が豊かに実り、森と畑が融合したような空間が出来ていた。敷地内にある築およそ150年の母屋は、友人やウーファー(*)たちとほぼDIYで大規模な修繕をしたそうだ。

そんな光山さんに、家の改修から森づくり、田舎暮らしの話を聞いた。

*ウーファー…有機農場で無給で働き、その代わりに食事や宿泊場所、知識や経験を得られるボランティアシステム「ウーフ」(WWOOF)。その制度に参加して働く人を「ウーファー」(WWOOFer)という。現在、50カ国以上でこの制度が設けられている。

★★★(ここにライン)

ーーーここに越してきた経緯を教えてください。

2016年の熊本地震が起こる直前に新しい引越し先が決まっていたんだけど、地震後に本格的にボランティア活動をすることになって、中々引越しが進まなくて。そのうちに大家さんから「すぐに引っ越して来ないなら他の人に譲る」って断られてしまった。それで困っていた時にこの家を見つけた。

ーーー(当時の物件情報のチラシ)

「一町(3000坪)の敷地、母屋も付いて30万円」(!)。格安に聞こえるけど「大規模な改修が必要です」「トイレ、水回りも使えません」って書いてありますね。あと「農業未経験の方には扱えきれません」って、親切に書いてある(笑)。

30万円と聞くと安く聞こえるけど、全面的な改修が必要で
普通に考えたら新築を建てるくらいお金がかかりそう

何人かここを見に来たみたいだけど、みんなやめて、中々買い手が現れなかったみたい。でも自分は家がない状態になってしまって、どこも行くところがなかったと言うのと、同じタイミングで熊本に移住した友達が近くに住んでるんだけど、その家があまりに凄すぎて。この人たちは子供連れてここまで酷い状態の家で暮らしているから、俺も出来るかもって錯覚した(笑)。DIYの技術なんて当時ほとんどなかったのに。

ーーーまずはどこから直し始めたのですか?

一番最初に取りかかったのは表の柱。この柱が折れてたから、見た目が廃墟みたいになってた。瓦もいつ上から落ちてくるかわからない状態。

ここに越してきてすぐ、広島から大工の友達が来てくれたんだけど「この家は大変。やめといた方がいい」って言われた。でも「家がここしかないねん」って言ったら、「じゃあ俺が一番やって欲しいところを手伝うから」って言ってくれて。それでまずここを手伝ってもらった。

元々の柱が朽ちて無くなってたから落として、そこに新しい柱を継いで3本建てた。向こう側の柱も同じ状態だったから、友達が帰った後、向こう側は自分でやった。

入り口の柱は大工の友人に教えてもらいながら直した
「この家の改修は大変だから、疲れた時にここに座ってコーヒーでも飲めるように」と
直した柱部分に、友人が椅子とテーブルを作ってくれた

それから、奥の一部屋の床と壁を直して、住みながら改修を始めた。隣にコンポストトイレ*も作って。床はあちこちナメクジわくくらい腐ってたし、家の裏側の壁はほとんど落ちてたから、全部貼った。

*コンポストトイレ…排泄物を微生物の働きによって分解・処理するトイレ。便だけを撹拌槽で手動により撹拌、処理し、尿は撹拌槽に入らないように専用タンクに溜める仕組み。水を使わずに排泄物を処理できるので、汚水による土壌や水質への影響を最小限に抑えることができる。

最初に直した部屋。冬だったので、薪ストーブを設置して

ーーー雨漏りはなかったですか?

最初は二箇所くらいあったかな。屋根に上って自分で直したけど、隙間からどうしても入ってくるみたいで、今でもたまに大雨の時は雨漏りする。

ーーー自分で直したのですね。雨漏りしてる家は、みんな入りたがらないですよね。

瓦がズレてたからそこを剥いでみたら、下のルーフィング(屋根材の下に敷く防水シート)が朽ちて破れてて。それを貼り直したら、雨漏りがなくなった。

ーーー結局出来るか出来ないかよりも、やってみるかやってみないかってところですね。

うん、やるかやらんかやで、ホンマに!

広い台所は、友人たちに手伝ってもらい直した
腐っていた竹は捨て、敷地内の竹を腐敗防止のために焼いてから新しく足した

キッチンは全部、壁板を新しく張った。友達が小国町の建材屋さんを紹介してくれて、B級材を安く買わせてもらった。節が多かったり、穴が空いていたりするからそこは切って、生かせるところだけ生かす。手間はかかるけど、コストは抑えられる。

壁に入れた断熱材は、切った時に出る端材を建築会社からもらってきて、それを継ぎはぎで入れてる。

天井は元々そこの梁の低い位置にあったんだけど、剥がしたらこの竹の天井が出てきた。煙で燻されていい感じで黒くなってたし、腐ってたところだけ新しい竹に変えて、あとはそのまま生かした。

床も土間がもうちょっと広かったけど、板を張って床部分を広くした。

畳は近所で建て替える家からもらってきた。リフォームしたばかりなのに、すぐに建て替えることになったみたいで、ほぼ新品の状態だった。その家からガラスサッシや建具、水洗トイレの便器まで譲ってもらった。

最初に来てくれた大工の友人がデザインしたキッチンストーブは、調理もできる暖房として
住み始めた頃から愛用。薪はここで栽培しているハーブティーと交換で、近くの製材所の端材をもらっている
元々梁の高さのところにあった低い天井を、雨漏があったため抜いて、
代わりに明るくなるように透明の波板を入れた
民泊を始めるにあたって浄化槽トイレにした。閉園になる近所の施設から浄化槽を譲ってもらい、自分たちで設置。
運搬費やユンボの使用料、砂利などの購入費だけで格安に据えられた

ここに自分たちのプライベート空間を作ろうと思って。

(納屋へ移動)

一見、古びた納屋だが二階へ上がると…
床・壁・天井を張り替え、気持ちの良い空間に

ーーー床も壁も全部張ったんですね。

うん、たまに手伝ってもらったけど、基本ひとりでやった。天井がめっちゃ大変やった!

床には麻炭を漆喰に混ぜたものが入ってる。麻炭は抗酸化作用、リラックス効果とかがあると言われているんだけど、近未来建築って言うのかな。そうやって麻炭とか竹炭を入れながら、今までの住宅では考えられないような気持ち良い空間を自分で作れるのはDIYの強みやと思う。いい素材を使って自然建築を安くできる。

整体のサロンの一室として改装した母屋の一室にも、天井と床に麻炭が施されている
元々蚕小屋で、今は倉庫の建物。ゆくゆくはここでカフェもできたらとみんなで話している

隣の建物は元々蚕小屋で今は倉庫になってるけど、みんなが使える加工場にしたいと思ってる。この辺の移住者たちが自分で作ったもので出店しているから、お菓子とかの加工場にできたらいいな。

ーーーもうどこが終わりなのかわからないですね。

ほんまやな。色々作りたいものは一杯あるけど、全部作ってたらいくら人生あっても足りない。音楽や整体とか、建築と畑以外のこともやりたいし、もうこれ以上手を広げるのやめようって思ってる(笑)。母屋を整えて、納屋の2階を自分たちの部屋にして、あとは倉庫を加工場にしたら、俺の人生の建築は終わり。あとはゆっくり人生楽しもうって(笑)。

ストーブは純正の煙突ではなく、ステンレスの調理用のダクトを使用。コストがグッと下げられる

★★★↑写真上に載っているこのキャプション、上の2枚の写真の下に入れたい

ーーーこれからDIYで改修する人にアドバイスするとしたら?

まずは自分でやってみて、自分で出来るところは自分でやる、もうここは無理ってところだけ大工さんにお願いするのもありじゃないかな。今youtubeとかでやり方たくさん出てるから。

ーーーここは難しいって言うのはどう言うところ?

電線、電気。あれは素人は触らん方がいいよね。(ちゃんとやらないと)火事になったりするし。

あと、扉をしっかり閉めようと思ったらお願いした方がいい。建て付けがきっちりしてないとちゃんと閉まらなかったりするし。壁とか床張ったりは、自分でやって多少ズレても大丈夫なんやないかな。自分も細かい失敗は数え切れないけど、なんとかなってる。

あと古民家の大変さは直線じゃない所じゃないかな? 梁が直線じゃなかったりして、その部分の板貼ったりするのにすごく苦労するけど、今はそういう所の線を引ける機械もあったりする。

森と畑づくり、家・納屋・倉庫の改修。大変な労力を注いでこの場所づくりをしようと思ったきっかけは、2016年の熊本地震だった。

〈MotherForest〉の主要な出荷作物のひとつであるトゥルシー(インド原産のシソ科のハーブ)畑

(第二回へつづく)

                                      

(プロフィール)

光山政恒(PIKALE☆)

1978年生まれ、大阪府出身のシンガー。宮崎県高千穂町の農園〈MotherForest〉、ヒーリングサロン〈フォレスト・ライト・ヒーリング〉主催。

聖歌隊で活動していた母の影響により、幼い頃から唄い始め、やがてシンガーであった兄の影響で黒人音楽に傾倒。
高校卒業後は社会に出るも馴染めず、アルバイトでお金を貯めては旅に出る。
2010年、移動中心の生活から湘南に拠点を構え、〈PIKALE☆〉名義で本格的に音楽活動を開始。各地の野外フェスやライブハウスなどで、それまでの旅や平和活動から生まれた唄を唄う。
2011年、東日本大震災が起こり、原発のない社会を願い九州を一周歩く平和行進に参加。その後、主宰者である正木高志氏の熊本〈アンナプルナ農園〉にウーファーとして約一年間滞在し、無農薬のお茶の栽培や農的暮らしを学んだ後、阿蘇の古民家を借り、自給的生活を目指して暮らし始める。
2016年熊本地震が起こり、復興ボランティア団体〈南阿蘇よみがえり〉を設立。共同代表のひとりとなり、全国から集まるボランティアたちと共に災害復旧活動を行う。
2018年に高千穂に拠点を移し耕作放棄地を開拓、〈MotherForest〉を立ち上げ、森づくりや薬草の栽培、自然素材を使った建築など、持続可能な暮らし方を学ぶ場を始める。

2021年に元ハリウッド特殊音響職人が開発した音響セラピーマシーンに出会い、自分の体調が改善したことから、自らもその療法を学び、現在は関東を中心に出張施術会も行う。

PIKALE☆ https://www.instagram.com/pikale2277

MotherForest https://motherforest.work

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